霧島蒼

2024.10.05

私たちは今、奇妙な時代を生きている。

スマートフォンの画面を通じて、世界中の誰とでも瞬時に繋がることができる。AIは私たちの仕事を「効率化」し、かつては人間にしかできなかった創造的な業務さえも代行しようとしている。そして、SNS上では「人生を変えるAI活用法!」「効率化で人生の質が向上!」というスローガンが躍り、それを体現したかのような「成功者」たちが、日々その「方法論」を発信し続けている。

一見、これは人類の夢の実現のように思える。 しかし、その裏で、私たちは新たな形の孤独と空虚さに苛まれているのではないだろうか。

1. 「夢追い人」現象の表層と深層

SNS上で頻繁に目にする光景がある。「人生を変えるAI活用法!」「効率化で人生の質が向上!」「副業で理想のライフスタイルを実現」といった類の投稿だ。彼らは口を揃えて「自由」や「充実」を謳い、その実現方法を共有しようとする。

しかし、この現象の裏に潜むものは何だろうか。

それは、深い不安と孤独ではないだろうか。従来の労働環境への不満、将来への不安、そして何より、自分の存在意義への問いかけ。これらが、「楽をする」「自由になる」という表層的な欲求となって現れているのではないか。

さらに言えば、これらの投稿の多くは、実際の「成功」を反映しているわけではない。むしろ、自らの不安や焦りを他者に投影し、承認を得ることで一時的な安心を得ようとする行為なのかもしれない。

2. テクノロジーと人間性の相克

確かに、AIやテクノロジーの進歩は私たちの生活を豊かにする可能性を秘めている。単純作業から解放され、より創造的な活動に時間を割けるようになる。これは、人類の進歩の一つの形だと言えるだろう。

しかし同時に、私たちは重大な危機に直面しているのかもしれない。

「効率」を追求するあまり、私たちは何を失っているのだろうか。困難に立ち向かい、それを乗り越える過程で得られる成長。他者との摩擦を通じて培われる共感能力。こういった、人間性の本質とも言える部分が、徐々に失われていくのではないか。

SNSに溢れる「効率化」や「AI活用」の投稿の多くは、この本質的な問題を見逃している。テクノロジーを使いこなすことが、即ち人生の質の向上につながるという単純な図式は、危険な幻想に過ぎない。