私たちは往々にして、調和や快を求め、不協和や不快を避けようとする。しかし、創造性の本質に迫ろうとするとき、この姿勢は再考を要する。なぜなら、真に革新的なアイデアや表現は、しばしば不協和音や不快感から生まれるからだ。
芸術の世界では、不協和音の創造的活用の例が豊富に存在する。例えば、ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、初演時には聴衆に衝撃を与え、騒動まで引き起こした。しかし今日では20世紀音楽の傑作として評価されている。この作品が示したのは、従来の調和の概念を破壊することで、新たな美的体験が生み出されうるという事実だ。
科学の分野でも、パラダイムシフトと呼ばれる大きな転換は、しばしば「不協和音」から始まる。例えば、アインシュタインの相対性理論は、当時の物理学者たちに大きな違和感を与えた。しかし、この「不協和音」こそが、現代物理学の基礎となったのである。
ここで、私が提唱する「自同律の不快」という概念について触れたい。これは、自己同一性(A=A)という論理学の基本原理に対する違和感、あるいは不快感を指す。一見すると、自己が自己であるという事実は自明のように思える。しかし、深く考察すると、この「自明性」自体が揺らぎ始める。
なぜなら、私たちの自己は常に変化し、流動しているからだ。昨日の私と今日の私は、厳密には同一ではない。この認識は、ある種の不快感をもたらす。しかし、この不快感こそが、より深い自己理解と創造性の源泉となりうるのだ。
創造性を育むためには、完璧さや正常性への執着を手放す必要がある。むしろ、不完全性や異常性を積極的に受け入れ、そこから新たな可能性を見出すことが重要だ。
科学の歴史を振り返ると、偶然や「ミス」が重要な発見につながった例が数多く存在する。例えば、フレミングのペニシリン発見は、培養皿の汚染という「ミス」から始まった。また、電子レンジの発明も、レーダー実験中の偶然の発見がきっかけだった。
これらの例が示すのは、予期せぬ結果や「異常」な現象に対する開かれた態度の重要性だ。科学者としての訓練は、往々にして「正常」な結果にのみ注目するよう導くが、真の創造性は、そうした枠を超えたところに存在する。
芸術の分野では、意図的に不協和音や不完全性を導入することで、新たな表現を生み出す試みが古くから行われてきた。例えば、日本の侘び寂びの美学は、不完全さや無常性を積極的に評価する。また、現代美術では、ジョン・ケージの「4分33秒」のように、従来の「音楽」の概念を根本から覆すような作品も生まれている。
これらの試みは、単なる既存の規範への反逆ではない。それは、私たちの感性や認識の枠組みそのものを問い直し、拡張しようとする創造的な挑戦なのだ。
では、どうすれば日常生活の中で、この創造的不協和のマインドセットを育成できるだろうか。