2024.10.10
私たちは、「ユニバーサルデザイン」という美しい理想に酔いしれてはいないだろうか。その言葉の響きの良さに惑わされ、その本質を見失っているのではないか。
ユニバーサルデザイン。それは、全ての人にとって使いやすい設計を目指す、崇高な理念だ。しかし、その実態はどうだろう。特に日本において、この理念の実現には多くの課題が残されているのではないか。
まず、目を向けるべきは、当事者参加の重要性だ。設計過程における当事者の関与は、確かに以前より増えてきている。しかし、それが形式的なものに留まっていないか、真に当事者のニーズを反映できているかは、常に検証が必要だ。
当事者の声を聞くことは、単なるプロセスの一部ではない。それは、デザインの本質そのものだ。しかし現実には、当事者の意見が建前上は尊重されながらも、実際の設計には十分に反映されないケースも少なくない。この乖離こそが、ユニバーサルデザインの理念と現実の間に横たわる深い溝なのだ。
次に、地域間での整備状況の差異がある。ユニバーサルデザインの理念は普遍的であるはずだが、その実現度は地域によって大きく異なる。都市部と地方の格差はもちろん、同じ地域内でも場所によって対応に違いが見られる。これは、財政状況や人口構成の違いなど、様々な要因が絡んでいるのだろう。しかし、この状況が、移動の自由や生活の質に地域間格差を生んでいる事実は否定できない。
さらに深刻なのは、ユニバーサルデザインの本質が霞んでしまっている点だ。誰のため、何のために行っているのか。その原点が見失われ、単なる体裁や形式だけが重視されている場面も少なくない。
形式的な「バリアフリー」の達成が目的化し、その背後にある真の課題 —— 人々の尊厳と自由の保障 —— が置き去りにされていないだろうか。チェックリストを埋めることが目的となり、その結果として生まれる人々の生活の質の向上が二の次になっていないだろうか。
そして、この問題の根底にあるのは、個人の快不快や局所的な価値観と、客観的事実との混同だ。「こうあるべき」という理想論が先行し、当事者の実際の需要や、設計の現実的な効果が軽視される危険性がある。
善意に基づいた取り組みであっても、それが真に効果的であるかどうかは、客観的な検証が必要だ。しかし現実には、善意の取り組みへの批判はタブー視されがちだ。この態度こそが、真の進歩を妨げているのではないだろうか。
では、私たちはどうすべきなのか。
まず必要なのは、当事者の声に真摯に耳を傾け続けることだ。形式的なヒアリングではなく、実際の使用体験や日常生活の中での困難を、深く理解しようとする姿勢が求められる。
次に、地域間格差の解消に向けた取り組みだ。財政的な支援はもちろん、好事例の共有や技術的なサポートなど、多角的なアプローチが必要だろう。
そして何より、不都合な事実から目を背けない勇気が必要だ。失敗や批判を恐れるあまり、表面的な成功事例だけを取り上げるのではなく、問題点を公に議論し、それを次の改善につなげていく。この循環こそが、真のユニバーサルデザインへの道筋となる。
ユニバーサルデザイン。それは決して、非当事者による理想主義的な設計ではない。当事者の生の声と、客観的な事実に基づいた、絶え間ない改善のプロセスなのだ。
私たちは今、この理念の本質に立ち返るべき時に来ている。形式的な「バリアフリー」ではなく、真に全ての人々の尊厳と自由を守るデザイン。それを実現するために、私たち一人一人が、既存の枠組みや思い込みを疑い、真摯に現実と向き合う必要がある。
それは決して容易な道のりではないだろう。しかし、この挑戦こそが、私たちの社会をより包摂的で、真に「ユニバーサル」なものへと変えていく唯一の方法なのだ。