霧島蒼

2024.10.09

私たちは、生と死について何を知っているだろうか。

社会は私たちに、生と死を複雑で神秘的なものとして教え込んできた。宗教、哲学、文学。それらは皆、生と死に壮大な物語を付与しようとしてきた。しかし、その実態はどうだろうか。

最近、私は驚くべき洞察に出会った。それは、生と死が驚くほどシンプルな現象だという気づきだ。

ある方の経験。大型の獣を駆除する際に感じた、生命の根源的な振る舞い。刃から伝わる熱。静かに息を引き取る獣の姿。そこには、私たちが普段想像するような激しい苦痛や恐怖はなかった。あったのは、ただシンプルな生命の移行だけだった。

この経験は、私たちの死生観に根本的な再考を迫る。

生と死は、私たちが思い描くような複雑で神秘的なものではない。それは、驚くほど自然で、シンプルな現象なのだ。しかし、このシンプルさこそが、逆説的に私たちを戸惑わせる。

なぜなら、このシンプルさは、私たちが生と死に付与してきた意味や価値観を全て剥ぎ取ってしまうからだ。

生命の誕生から死までの過程。それは確かに、複雑な化学反応の連続だ。しかし同時に、それは極めてシンプルな振る舞いでもある。私たちの意識や感情、そして社会が作り上げた価値観。それらは全て、このシンプルな生命現象の上に築かれた副次的なものに過ぎないのかもしれない。

この認識は、私たちに深い解放感をもたらす一方で、強い不安も引き起こす。なぜなら、それは私たちの存在の意味そのものを問い直すからだ。

しかし、この不安こそが、より深い自己理解への道を開く。

生と死のシンプルさを受け入れること。それは、人間存在の本質に迫る旅の始まりだ。この旅は、私たちが築き上げてきた複雑な概念や価値観を一旦脇に置き、存在そのものの振る舞いに目を向けることから始まる。

そこで私たちが見出すのは、生命の驚くべき連続性だ。個々の生命は有限でも、生命全体の流れは永続的だ。私たちはその大きな流れの一部として存在している。

この認識は、死への恐怖を和らげるかもしれない。同時に、一瞬一瞬の生の尊さをより鮮明に照らし出す。

生と死のシンプルさを理解すること。それは、私たちの存在の本質に迫る壮大な冒険だ。その冒険は、時に不安や戸惑いをもたらすかもしれない。しかし、その先には、より深い自己理解と、存在そのものへの新たな洞察が待っているはずだ。

さあ、あなたも、この存在の本質への旅に出てみないか。