霧島蒼

2024.10.06

私たちは今、「妄想の臨界」という名の断崖絶壁に立っている。

この言葉は、単なる比喩ではない。それは、私たちの社会が直面している極めて現実的な危機を表している。根拠のない、あるいは極端な考えが、現実社会で無視できない力を持ち始める瞬間。その転換点を、私は「妄想の臨界」と呼ぶ。

しかし、この現象は突然現れたわけではない。それは、私たち一人一人の心の中に潜む「種」が、特定の土壌で急激に成長した結果だ。その土壌とは何か。それは、不安、孤独、そして所属への渇望ではないだろうか。

現代社会は、表面上は「つながり」に満ちている。しかし、その実態は「量子的孤独」とでも呼ぶべき状態だ。常に誰かとつながっているようで、本質的には誰ともつながっていない。この矛盾した状況が、私たちを「妄想の臨界」へと押しやっているのではないか。

具体的に、この現象は社会にどのような影響を与えているのだろうか。

まず、不要な分断の拡大が挙げられる。「我々」と「彼ら」という二項対立の構図が、あらゆる場面で強化されている。政治的立場、文化的背景、さらには些細な趣味嗜好の違いまでもが、人々を分断する理由となってしまう。

次に、差別の正当化と拡散だ。「妄想の臨界」に達した考えは、しばしば特定のグループへの偏見や差別を含んでいる。そして、そういった考えが「正当な意見」として流布されてしまう危険性がある。

さらに深刻なのは、この現象が民主主義の根幹を揺るがしかねないという点だ。建設的な対話や議論が困難になり、代わりに感情的な対立が前面に出てくる。これは、社会の意思決定プロセスを歪める可能性がある。

では、私たちはこの「妄想の臨界」をどのように乗り越えていけばいいのだろうか。

第一に必要なのは、自己との対話だ。私たち一人一人が、自分の中にある偏見や先入観に気づき、それと向き合う勇気を持つこと。「妄想の臨界」は、結局のところ、私たち個人の内側から始まるのだから。

次に、真の意味での「つながり」を再構築することだ。表面的なつながりではなく、互いの違いを認め合い、理解し合おうとする姿勢。それが、分断を乗り越える鍵となるだろう。

そして何より、多様性を尊重する文化を育むこと。「妄想の臨界」は、同質性への渇望から生まれる。異なる意見や背景を持つ人々と共存することの価値を、社会全体で再認識する必要がある。

「妄想の臨界」は、確かに危機だ。しかし同時に、それは私たちの社会が変容するチャンスでもある。この現象を通して、私たちは人間の認知の限界と可能性を、より深く理解できるかもしれない。

そして、この「臨界」を超えた先に、新たな共生の形が見えてくるのではないだろうか。それは、違いを恐れるのではなく、違いから学ぶ社会。他者の存在を脅威としてではなく、自己を拡張する機会として捉える文化。

私たちは今、その可能性に向かって一歩を踏み出そうとしている。

「妄想の臨界」は、私たちに問いかけている。あなたは、どのような社会を望むのか。そして、そのために何をするのか。